DISCHARGEを追いかけて20数年、バンドとしては動けなくなってしまったが、このようなかたちで関われるとは思っても見なかった。高一の春、いっこ上のヤブ先輩からまとめて借りたvap盤を死ぬ程聞いた。その時からオレは"hear nothing "派だった。grave new worldはその当時、周りに誰も語る人間はいなく、本国イギリスでも最悪の劣化やメタルに転換してしまったと酷評を受けていた。そんな中クマさんとcrowだけが唯一理解してくれる先輩だった。20代前半、偶然にもまわってきた ”DISCHARGED" コンピレーション参加の話。うんもすんも無く即参加決定。美濃加茂のはずれのコンビニからtoy'sファクトリーにマスターテープを速攻送った記憶がある。91年の初来日の時は関係者でもないのにgigやオフのたびに名古屋中でビラを配りまくり、ライブ当日は早朝からメンバーより早く名古屋入りしてオープン前の名古屋パルコのガラスドア全面に手製のビラを張りつめた(オープンと同時にはがされたが)ライブではもちろん全曲完璧に歌いきり、中盤からはステージによじ上りDISCHARGEとは無関係に超個人的に念願の競演。強靭なセキュリティをかわし続けながら、おまけボーカル状態になっていた。オレの左にはCALがいたんだ!ああその時の映像があったら、、、、、毎年年越しはDISCHARGE。ハックフィンにはプレイヤー持参で7inchをかけて新年を祝っていた。
そんな経緯を経てオレはこのデザイン製作に辿り着いた。DISCHARGEとしては有りそうで無かったコラージュによる作品となる。過去のデザインは紛れも無く最高で不動のリスペクトを貫くが、やはり新たな形態で来日するDISCHARGEに最大限の敬意を込め過去をスクラップする(くず化する/切り抜きを集める)ことにより現在進行形のバンドである事を表現したかった。デスフェイスのデザインは使われていそうであまり使われていなかったデザインだった為、一番早く採用が決定していた。エイトカウントのフォントは80年代っぽいという観点では無く、バッジっぽいというウルトラミニマムなところからのチョイス。発射されたx3の下に横たわる兵士を覗く女の子の頭は無く、右胸にデスフェイスが浮かぶ。その他使用された資料はその当時の物ばかりである。
抜染は技術確認のテストプリントとなる。現代技術の向上でかなり白に近い抜染が可能になっていると聞きテストしてみたのだが、やはり生成りになってしまった。漂白液をもっと多くすれば出来ない事も無いのだが、薄く柔らかい生地のボディには不向きで、幻のプリントとなってしまった。季節による温度、湿度で色合いが微妙に変化する、レア度の高くなる方法と確認する事が出来たところが試作による発見であった。